Concept
コンセプト

Feature
外観・装飾的特徴
在団法人法曹会は明治 24 年(1891)9 月に法律研究の任意団体として発足。
司法界の社交場として建てられた。
お濠端という場所にふさわしい静謐な趣を生み出すよう配慮された倶楽部建築。
尖塔屋根のある塔屋や正面にはめ込まれたステンドグラス、瀟洒な車寄などが特徴。
全面に薄いグレーのタイル貼りで、両側に尖塔屋根のある塔屋のあるシンメトリーな正面
ファサード。中央に車寄せがある。外観は教会を思わせるようなアーチ窓があるほどのおと
なしいデザインだが、内装は正面にステンドグラスがはめ込まれてあり、深紅の絨毯が敷き
詰められた階段など、昭和レトロの雰囲気を感じさせる。



Location
重要文化財と公園
西側には、明治 28 年(1895)に完成した赤レンガの法務省旧館(重要文化財)がある。
皇居のお濠に向かい合うことを意識して、変化に富んだファサードをデザインしている。
官庁街の巨大で堅苦しいビル群の一角に、勾配屋根、住宅スケールの心和む景観を与えて
いる。
東側には、都会のオアシスとして名高い「日比谷公園」。
ロケーション撮影にも人気の高く、和装・洋装どちらでも
素敵な撮影が叶います。


History
歴史・文化的特徴
法曹会館は、羽前米沢藩上杉家の上屋敷跡に建てられ、正面には碧水のお濠、松の石垣の先には、典雅な皇居を望み、左には画趣豊かな桜田門を眺め、右には大手町・丸の内の近代的な高層建築に接し、一望の下に新旧時代の粋を満喫する景観は、他に類を見ない環境にあります。
建物の所在地は、東京都千代田区霞が関一丁目1番1号。
近代的な官庁街区の中に、昭和11年に竣工し、戦時中周辺の施設が焼失する中で、空襲の戦災を奇跡的にまぬがれ、当時の姿を今も残しています。
現在の法曹会館が竣工したのは昭和11年12月(1936)。
建物の設計は、大正から昭和期にかけて活躍した建築家で三菱合資会社地所部 藤村朗 氏(のちに三菱地所社長に就任)、施工は竹中工務店。基礎工事には、長さ五十尺(約15m)の松材が多数使用されました。地中に埋められたこの松材は、地下水の存するかぎり永久の生命を保つとされています。
日比谷交差点から桜田門交差点に通じる内堀通りに面し、凱旋濠に対し建築された法曹会館は、鉄筋コンクリート造地階共5階建ての近代建築で、周囲の風景と調和する秀逸な麗容と耐震・耐火の堅牢性を兼ね備えた昭和初期における名建築のひとつとされており、現在は、「千代田区景観まちづくり重要物件」(平成15年)に指定されています。
また、法曹会館は、終戦直後の一時期、大審院(大日本帝国憲法下の最高裁判所)が使用することになり、1階の一室(現ロビー)には法廷が設けられ、実際に開廷されたこともありました。
昭和の激動を乗り越えてきた法曹会館には、その隅々にまで時代の記憶が刻まれています。


Relic
歴史的な遺物
法曹会館の東側の緑地帯に、ひっそりと佇む庭石は、昭和11年の新築工事の際、この地の地下十数尺より出土したと伝えられています。
この庭石の由来は明かではありませんが、法曹会館は、米沢藩江戸屋敷桜田邸跡に建築された経緯から、当時の御庭の庭石ではないかと推測されています。
正面の車寄せを上がった玄関脇には、「法曹会館」と”高田竹山翁”の筆になる銅牌が埋めこまれ、歴史を感じさせています。
御影石が敷き詰められた正面玄関を入ると、エントランスには、紅白梅(原画:前田青邨)の創作美術陶板が訪れる人をやさしく迎えています。
中央階段は4階まで吹き抜け構造で、天井から連なる照明が見どころです。
お濠側に大きく開口されたステンドグラスからもれる陽光が、懐かしき昭和のかほりを演出しています。
館内の内装は手入れを心がけ、アンモナイトの化石が眠る大理石張りの階段踊り場や、各部屋のドアを彩るステンドグラスは当時のままの美しさを保っています。
現在は、一般財団法人法曹会が運営する会館として、法律研究や法曹の交流の場となるとともに、一般の方々にも様々な場面で利用されています。
お昼時ともなると、おいしいくボリューム満点と評判のランチでにぎわい、会合や、懇親の場として利用されています。
歴史の刻まれた昭和の建築で挙げる、ゲストハウスウェディングも開かれています。

